Cork

大学生スプリンターの考えすぎる練習日誌

どこにでもいる大学2年生の短距離練習日誌

大会

天気常に小雨

ちょい寒い

 


400m対校  50.92 PB(予選)  51.63(決勝)

 


まず、決勝に行けたことを嬉しく思う。すごく貴重な体験をさせていただけた。偶然自分より速い人が怪我をして得られた対校枠をうまく利用できたと思う。みんなに決勝に行けたことを祝ってもらって、決勝でも2点獲得し、タイムもそこまで悪くなかったので、率直に言って嬉しい。多少足首は疲労したけど怪我もないし、まだ走れそうな軽い楽な走りができたし。

 


しいて言うなら、マイルに出ておけばよかったかもとは思った。言えば出られる状態だった。ただ、もう3本目の400は気が引けてしまったのと、今走って右足を悪化させる可能性を考えた。もしかしたら出なくて正解だったかもしれないが、何か思うものはあって仕方がないだろう。

 


完全に予選敗退だと思っていたし、その気で走った。PBを更新するための記録会に過ぎず、決勝に残るには50秒大前半が必要だと言われていたし、そう思っていた。前回の15大での400は、前半飛ばし過ぎたと言うより、力を込めて走り過ぎたというのと、ちょっと走りを分割し過ぎていた気がした。結局NewronもEinsteinも出てこなかったし、NoforceやUltraは成功したとは言えない。それらを考えて練習したことによって体に染み込んだ走り方や体力が活きてくると考えれば、失敗とは言えないが、現に400を走り終わった後には40分ちょいぶっ倒れていた。久しぶりにあそこまで出し切った。ただ、ラストの走りがグチャグチャになってしまい、粘りが出せなかった。

 


つまり、vector、ultra、Newton、Einsteinで構成されたあの走りは複雑で、エネルギーの無駄が大き過ぎたということ。もっと楽な走りを作る必要を、前回走り終わってから感じた。

 


ビデオを見ても、Uultraは脚が後ろに流れ気味だったし、vectorはうまくいったとは言えない。今までの走りを否定はしない。ただ、意識の仕方、度合いを変えて今日の試合に臨んだ。何も失うものがない記録会なのだから。

 


走りを一新した。というのも、新しい走りを開発したわけではない。いや、開発したかもしれない。「何も考えずに楽に走る」って言う走り方。前回ほど予選は緊張しなかったし、どうやって走ろうかなんて考えてなかった分、頭がスッキリした状態でレースを迎えられた。本当に何も考えていなかった。せめて言うなら、最初に楽に加速することと、50からしばらく維持をする区間を入れて、リラックスしたいってこと、ラストは粘りたいってことくらいかな。

 


ジョグともも上げとファストスキッピングだけのアップを1時間半ほど行っただけだった。

抜けたような加速をしたのち、40くらいから維持に入った。そのあと、適当にバックストレートでは加速気味な走りをした。200の終わりで疲労や体の動かなさを感じたが、「それでも楽に走る」を考えて、楽に走った。ラスト100は、前に3人いたので、加速気味に、決して落ちていかないように前の人との距離を縮めていった。ラストは楽にとか考えなかったけど、全身の力を振り絞って走り切ろうとかは思わなかった。

 

 

 

その結果、走り終わった後もオールアウトしなかった。靴も脱げたし、立っていられたし、歩き回って冗談すら言えた。周りの人も、死んでいなかった自分に驚いていた。まだ走れる気がしたし、ケツワレもほぼなかった。ハムは正常でふくらはぎやいかなる筋肉もひどくは疲労していなかった。

 


その時点で、農工のKから、決勝行ったかもと言われ、みんなに「ワンちゃんある」と言われた結果、本当に決勝に行けた。二本は走りたくなかった。けど、走れば特典獲得は保証されたし、失うものはないという発想に切り替えて走ることを決意した。

 


楽な走りで予選を走り切れたおかげで、3時間しかなかったけど決勝もいい走りができた。

バナナを2本と、速攻元気のゼリーとアミノバイタルゴールドとウイダーエネルギーを食べたのは、走る2時間前だった。なんだか走れる気がしてきた。怖くない。さっきのように楽に走れればいい。

何も考えていなかった。ジョグともも上げとファストスキッピングだけの数本の流しで挑んだ。よかった。アップし過ぎれば疲労に繋がるからね。

 


決勝は全くと言って緊張しなかった。走り方も考えていなかったし、勝てるはずもない相手だったから。52秒台に乗るかもしれないし、ベストが出るかもしれない。よくわからなかったのだ。

 


結果、スタートから200まで、となりの人についていき、ただひたすら楽に走り続けた。ラスト180あたりで体力が尽きはじめ、スピードは上がりそうもなく、ただ遠くのレーンで自分と同じくらいの位置にいる人が見えたので、頑張って勝とうと粘った。

 


ゴールした途端、勝ったと思った。間違いなく2位だと。予選よりは疲れたが、それでも話せるくらいの余裕があり、楽な走りができたのではないかと思う。

 


結果は51"63。前回の15大のオールアウトの51"45に近くて嬉しかった。驚いたことに8位との差は0.01秒。友達からも、よくそれで勝ったと思ったなと言われてその通りだと思った。最後まで粘った結果なのか、それともラッキーなのか。

 


たしかに今まで開発と称して作り上げてきた数々の走り、Vector Ultra Noforce Super Newton Einstein たちは決して間違っていなかった。事実それらの走りで練習時は速く走れるようになったし、それは感覚的にもタイム的にも明らかだった。楽に走りたいが故に作ったNoforceでは楽に走れたし、200はNewtonのおかげで劇的に楽に速く走れるようになった。

 


ただ、今回の15大と国公立で証明したことは、それらは単なる組み合わせでは400に対応できないということだ。それらから身についた走りや裏にあるG接地理論や加速限界などの考えは活きるが、ただ走りを並べただけでは、400には足りていない。400のための今のところの最適な解は、50.92の走りである、「楽な走り」であろう。200そして250まで、ひたすら楽に走る。高校の頃のマイルと春合宿の400TTから発想を得た。50くらい加速。50くらい維持。その後なんとなく加速。カーブをスピードを落とさずに走る。ただしここまではずっと楽に。ちょっとでも疲労がきそうだったら、スピードは落とさず、走りも落とさず、「楽に走ろう。楽に走ろう」と唱え祈り強く思う。そしてラストは前の人との距離を詰めるだけ。

 

 

 

 

 

 

今回の大会で得られたものはこれだけではない。自分がいかに多くのことを無理だと思い、無理だと口にしていることか。謙遜と無理だと言うことは違うのだ。決して不可能ということはない。いけると思われていた15大の決勝に行けず、行けるはずがないと言われ、自分でも一切の疑いなくそう思っていた国公立の決勝に行けた。たしかに、決勝に行けたことの裏には数多くのラッキーがあったに違いない。ただそういうラッキーたちも含めて、不可能はないというのだ。陸上に運はつきものだ。それの何が悪い。プロだって実力だけで結果を出しているわけじゃないんだ。

 


無謀な挑戦をする必要はない。だけど、やる前から諦めるのも意味がない。そもそも、諦める要因や根拠が間違っていることが多い。よほど確定的なことでない限り、諦めたら何も生まれないだろう。成功は挑戦したものにのみ訪れるのだから。

 


常に挑戦者でいよう。自分が絶対に勝つなんてことを考えたら、それは良くない。傲慢さがはびこり、実力発揮に影響を与える。いつでも自分は挑戦する側に立つべきなのだ。必ず勝てる試合や勝ちたい試合として考えるのではなく、ただ実力を出すのみ。そうすれば、責任感や失敗した時の不安による猛烈な緊張がなくなるだろう。下から這い上がったほうがいいじゃないか。

 


そして最後に1つ。15大で51.45を出した。あれが実力の全てだと思った。オールアウトして走った結果なのだから。しかし、一週間後の国公立で50.92を楽に出した。0.5秒ちょい更新したのだ。しかも2本目で51.63をだし、前回の記録に近いものを叩き出した。ここで疑わないわけにはいかない。その結果、タイムにどれほどの意味があるのか?本当にそれは自分の限界なのか?自分の実力の全てなのか?もし同じタイムを何ヶ月もずっと出し続けたとしても、そのタイムが自分の上限であるという証拠は存在しない。つまり、本当のタイムを知ることはできないのだ。それがたまたま出ただけのか結果なのだ。そしたら、一喜一憂する必要がないことに納得するだろう。そして、見るべきはタイムではなく、その走り、内容に他ならないとわかるはずだ。タイムは何回同じものが出たとしてもあてにならない。目に見えるのはその走り方でしかない。走り方を常に進化させることで、いつかものすごい飛躍を目にするに違いない。タイムが伸びたことを喜ぶでない。タイムが伸びない、結果が出るたびに悪くなることに落ち込むでない。それよりも、走りが進化を遂げない、体が退化する、やる気がなくなる、そういったことに対してもっと真剣に悩むべきなのだ。