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大学生スプリンターの考えすぎる練習日誌

どこにでもいる大学2年生の短距離練習日誌

7/27(土) 300mなんて怖くない

7/27(土) 自主練

 

 

 

GC)蒸し暑い。台風が来るかもしれない

PC)痛みなし。足の指先はほぼ治った?

 

メニュー)

300*4 r=15

 

結果)

38.14(ビデオ計測)

38.54(ビデオ計測)

39.8(手動計測)

39.7(手動計測)

 

メニューの意味

3004本走るという練習は、一見気が狂っているように思える。しかもレストは15分。完全回復を捨てた時間の短さだ。このメニューを作ったはるやさん曰く「スピードはそんな出さないよ。スピードを出すというより、イーブンでって感じ。まぁみんながどうやって走るのか見てみたいよね。心肺にくることがメインの目的かな。ま、実は新しいことやってみたかっただけなんだけどね笑」

笑いながら話すようなメニューではない。

自分を含めた短距離のロングスプリンターは300一本だとまぁまぁな覚悟を決め、300を二本だと走りたくなくなり、それ以上の本数だと、逆にスッキリしてくる。今回はそのパターン。4本も走るとなると、全てを飛ばすわけにはいかない。かといって、10本走るわけじゃないし、中距離選手でもない。

 

 

練習メニューの意図

 

練習メニューの意味というのはいつでも他人から与えられてはいけない。最終的に走るのは自分。人それぞれ目指す大会や記録は違う。種目は似てても、体のつくりや疲労の回復具合、食生活、ありとあらゆるものが違う。10人いれば10通りの陸上がある。だから、メニューに共通した意図は作り得ない。なるほど確かに、マクロスケジュールでの練習強度の波はメニューを出す人によるだろう。シーズン単位、1ヶ月、1週間単位での練習強度の波をつけた変化というのは、合同練習のメニューに素直に従う限り、メニューを出す人の手にかかっていると言える。だけど、それでも、一つ一つの練習メニューをどう捉えるか、どのように走るかは個人が決めるべきものだと思っている。

 

自分はいつも、メニューの意図をはるやさんに聞く。というのも、すでにそのメニューをどう捉えるか、自分の中でなんのために走るのかを完全に処理しているからできる。そもそも、メニューが与えられる前から、今の自分の課題やテーマというのが存在するはずである。それはほぼ絶対的なものだ。そこに合同練習が割り込んできたのであって、自分のやるべきことは変わらないというのが自分の考えだ。

 

とはいっても、メニューによっては、もしくは疲労によっては、現在考えていることからは少し逸脱して、メニューに沿った練習意図を作ることもある。その辺は01かの発想じゃなくて、臨機応変に変えるべきだと思う。

 

300を4本走る意味

とにかく、今日300*4を走る意味はなんだろう。

一番大きい目的が一番単純なのだが、自主練で合同練習でしか走れないような、走る気が起きないようなメニューをやること自体が、一つの目的となっている。以前書いたが、メニューを欠席した時の対応方法に新しい選択肢を与えることだろう。今日走ること、それ自体に意味があるのだ。走り終わった時、自主練と合同練習の違いや、合同練習、周りの仲間の価値がきっと明らかになるだろう。それが楽しみなのだ。

 

すでに今日の午前中に合同練習でみんなが走ったタイムは手元に届いている。なんとなくの雰囲気がつかめた。ただ、自分は練習タイムに疎いし、そこまで興味がない。走りは常に中身で評価されるべきで、確かにタイムの良い悪いで多少練習が見えるかもしれないが、タイムを決める要因は走りだけじゃないから、必要十分じゃない。その日の体調や朝ごはん、テンション、緊張具合、そういうありとあらゆる要因で速くなったり遅くなったりするから。その中にも絶対的な走りの内容というのはある。そこを見るべきなのだ。

 

どう走るか

だから、ここでいう走る意味というには、あくまで自分が走る意味でしかないことに今一度注意する必要がある。

自分のテーマは「楽な走り」をすること。今のところ、「楽な走り」が「楽な加速」と「楽な維持(中間)」によって構成されているのではないかと思っている。楽な加速は、加速の姿勢を保つことや、自分のペースで少し長めに加速することなどが分かっている。楽な中間は、加速局面の終わりあたりで迫られる「楽」と「力み」のゾーンへの選択で、「楽」を選ぶことでなされる。いずれにせよ、無駄なパワーや無駄な動きをなくすことが大切になってくる。

 

そう考えると、メニュー前にどういうアップをすべきなのかも自ずとわかってくる。無駄のない楽なアップである。本番の走りに無駄があるということは、アップの走りにも無駄があるのだ。間違いない。だから、本番をこなすのと同じくらい真剣に、アップで無駄を削るべきなのだ。ただ、人の集中力は有限だから、あんまり考えすぎないように。感覚で、なんとなくでいいから無駄を削っていこう。

 

 

 

300 一本目 38.14

 

悪くない。楽だ

スタートの姿勢をだいぶ起こしてみた。30から45度程度の角度で背中を貼り、斜め前くらいを見ながらスタート。おかげで、加速の低姿勢はある程度維持できたと思う。加速中は、1mほど前を見て、ほぼ下向きながら走った。ちょっとだけ重い加速区間が終わり、70から200にかけては、ひたすら「楽」の選択を行い続けた。何度も力みそうになったから、そこで楽に走れるように、楽をできるように思いながら走った。ラスト100では、腕振りを機にする余裕があったので、腕を(肘を)体の後ろまで行くように、ある程度引いて腕振りをしてみた。

 

腕を後ろまで振りたい

ラスト、肘を少しだけ後ろまで、意識的に引いてみると、体全体が安定した。今日の300は余裕があったから意識できたが、もしかしたら、400のラストやきついlong練習のラストでも、腕振りは意識の問題で解決することができるのかもしれない。さらに、なぜ今まで気づかなかったのかわからないが、今自分に必要な筋肉は、腕振りに関するもので言えば、腕を前にふる筋肉ではなく、腕を後ろに引く筋肉なのだということ。もちろん特化した筋肉はないから、バランスよく鍛えなきゃいけないんだけど、今が多分バランス良くないから、後ろに引く筋肉は意識してトレーニングしなきゃ。

 

300 二本目  38.54

接地が地面に受け入れられる

一本目を楽に走ったので、二本目もそこまできつくはない状態でスタート。加速をし、100から200の間、だいたい150あたりで、接地を気にする余裕がなぜか生まれた。接地を感じてみた。ちなみに、その時すごく楽な中間疾走ができていて、体が前に進み続けるイメージだった。

接地が地面に受け入れられた。走り終わった後、さっきの接地を振り返った時、この表現が一番適切だと思った。ついた足がすんなりと地面に受け入れられるのだ。つく位置が体の真下かどうかなんてわからない。ただ、足が流れているわけでもなく、足がブレーキになっているわけでもないことはわかった。ついた足が次から次へと、地面に溶け込むように、受け入れられていくのだ。面白かった。

 

足が、本来つく位置よりも後ろだと、俗にいう足が流れる状態になる。この時、確かに同じような足が受け入れられる感覚が生じるのかもしれないが、どちらかというと、足を後ろに勢いよくすくわれる感覚の方が強い。なんか嫌な感じ。体が前に倒れちゃう。

 

足が本来つく位置よりも前だと、ブレーキがかかる。longスプリンターがブレーキ作用のある接地をすることは致命傷になる。スピード的にもそうだし、実際に足の指先に傷ができる。走り終わればその痛みで、嫌でもさっきブレーキがかかっていたことに気づくだろう。

 

以前カイトとはるやさんが言っていたことがわかったかもしれない。「足をつくだけで進む」。

偶然得られたこの感覚に再現性を持たせようとすることが、陸上選手が次にとるべき行動だろう。

 

300 三本目 39.8

陸上練習にハプニングはつきものだ。特に自主練なら。レストが終わって、さぁ三本目を始めようとしたとき、競技場に立っている10本の巨大なライトが眠りについた。あたりは一面真っ暗闇。暗いんじゃ、ビデオ判定でタイム計測もできない。心なしか雨も降り始めてきた気がする。どうしよう、と困惑する気持ちの裏から、今日はもう二本で終わりにしてもしょうがない、という悪魔の囁きが徐々に強くなってきた。

 

タータンの白い線がやっと見える暗闇の中で、自分がなんのために今ここに立っているのかがわからなくなってきた。いったい自分は何をしているんだろう?ここで走ったところで、タイムは手動計測になるし、怪我をするかもしれない。ここは戦略的撤退が一番なのかもしれない。

 

でも、思い出せば、今日は3004本走り切ることに、大きな意味があるはずだった。いつもタイムは気にしないと言っている自分が、なぜ今更ビデオ計測ができなくなった程度で走るのをやめようと考えるのか。そこに自分の弱さがあった。走るしかない。せっかく走るなら、単なる完走なんて目標にしないで、しっかりと内容を濃くしたい。

 

小雨が徐々に強くなってきた。真っ暗闇の中、300のスタートの線をなんとか探し出した。右手にスマホを持って、LEDライトと画面の明るさを最大にした。ストップウォッチのアプリを起動させ、しっかり握った。雨の中走ることは今後いくらでもあるだろう。でも、真っ暗闇の中、8レーンある競技場を一人スマホを片手にとって走ることはもう二度とないだろう。

 

力強い加速

はじめ70くらいの加速がすごく力強くなった気がする。一歩一歩がしっかり地面を捉えられていて、パワフルな感じ。前は見えないけど、いい感じのスピードが出ていた。走り終わった後、どうしてさっきの加速はあれほど力強く、安定したのかを考えた。右手にスマホを持っていたからだと思う。スマホの重量が、腕振りにちょうど良い重さを持たせ、勢いや安定性を強化したのだと思う。また、腕の先端に重りがついている状態なので、いつもよりも腕振りの軌道が後ろまで行くし、勢いさえついてしまえば、衰えることを知らない。さらに、LEDライトや、画面の明るさを最大にしたのも効果があると思う。明るい画面が走っていると周期的に視界内に入る。その周期や、明るさの位置が重要だったのかもしれない。腕をどこの高さまで振れば良いのかが見てわかる。

 

腕振りに加速を変える力がここまであるとは予想していなかった。腕振り単体の話じゃないんだろうけど、腕振りってすごい興味深い。

 

300四本目 39.7

四本目を走って得られたことは、すごく少ないけど、すごく大きい。300が怖くなくなったのだ。

さっきまでの、300を走る前にスタートラインの周りを意味もなく小円を描いて10周ほど回って、なかなかスタートする気が起きなかったのが嘘のようだった。躊躇なくスタートできた。なんだか300がものすごく短く思えてきたのだ。高校の時にも3005日で7本走った翌週から、300が怖くなくなったのと同じ現象のようだ。

もう300は怖くない。