Cork

大学生スプリンターの考えすぎる練習日誌

どこにでもいる大学2年生の短距離練習日誌

7/22(月) 無理って言うな

7/22(月)学校

 

 

 

GC)小雨

PC)違和感はない。昨日の自転車漕ぎで疲労がきている。

 

メニュー)ドリル

 

欠席が続き、モチベーションが落ちそう

もういやだ

前回の200*3*2の練習はピッチコンテストで欠席することになった。今回は300*4を授業の関係で欠席することになった。土曜の練習。なんで自分だけがこんなに欠席することになるんだ。周りの仲間は自分が授業を受けている間に走って強くなっていく。差が開く。しかもこのメニューは大きく差が開くだろう。そう言う日に限って欠席することになる。今まで欠席なんてほとんどしなかった。ここ1週間、なぜか欠席する日が生まれた。こんな授業は取らなければよかった。そう思ってしまった。自分で面白そうと思って取ったけど。なんだか面白さすら感じられなくなりそうだ。全てがよくないように見えてくる。

 

練習に参加すれば怪我する可能性がある。練習に出ないことで、その可能性を排除できたと考えれば悪くない。そう前回は考えることにした。でも、結局誰も怪我をしない。それを望むわけではない。そんなはずがない。それでも、差がつくことがとにかく怖い。自分は練習に参加したくなくて参加しないんじゃない。すごく参加したい。参加したいのに、走りたいのに、その機会を奪われてしまった。間違いなく被害者なのだと。

 

はるやさんに、土曜のメニューを変えてくれないかと頼んだ。ラインで頼んだ後に、言わなきゃよかったと思った。なんて自分は自分勝手なやつなのだと後悔した。自分が出られないからといって、全体のメニューを変えてくれと言うだなんて。世界は自分を中心に回っているわけではない。

 

パラダイムのシフト

それでもはるやさんは話を聞いてくれた。次のメニューは休んでもいいメニューだとか色々いってくれた。そして最後に一言、冗談のようにこう言った。

「自分で走れば?」

自分は即答で、「そんなことできるわけないじゃないですか」と返した。自分の悪い癖。国公立の時も無理だ無理だといい、この前の農工との合同練の時もラストで無理だといい。カイトは「無理じゃない」って言った。自分はやってもいないことを無理という。できなさそうなら、それを無理という。いつからこうなってしまったのか。練習でタイムが出るようになって、少し速くなった気がした時から、俗にいう「保証」ってやつで使い始めたのかもしれない。謙遜のつもりで言っているのかもしれない。でも、言っている間に、本当にそれが無理なのだと心の中に染み付いていく。例えば、今回の事例では、いつかやった400mの自主練がきつくて、タイムが出なかった記憶から来ている。その後、「こういう合同練習は自主練じゃ無理だから、合同練習って大切にしなきゃね。」なんて会話を友達と数え切れないほどしてきた。そうしている間に、合同練習のメニューは自主練じゃできないっていう固定観念が植えつけられてしまった。前回の200*3*2の欠席の穴合わせも、自主練でできたのはないか?練習日誌なんて真剣に書いてないで、自分で走って、タイム取って、みんなのタイムと比較すればよかったんじゃないか?

 

前を見て進む

次の土曜の練習は欠席する。それはしょうがない。周りを変えようとしてはいけない。授業に出ないとか、メニューを変えるとか、そういう感じで周りの環境を変えることに頑張ってはいけない。それを考えるだけの思考の労力すら意味がないのだ。運命は受け入れよう。そういうことなのだ、程度に受け入れよう。本質はどこにあるのかを見極めよう。練習に出ないことで、周りの評価が気になるのか、走らないことで周りとの差がつくことが怖いのか。落ち着いてそれを見極めよう。もし周りとの差が開くことが怖いなら、走ればいいじゃないか。その選択肢を潰したり、嫌がったり、考えなかったりしたら、それは運命のせいではない。自分のせいだ。恨むなら神ではなく、教員でもなく、自分を恨め。

 

固定観念を捨てるには、やはり周りの人に素直に打ち明けるのが早いのかもしれない。今回ははるやさん、ありがとう。さぁ、300*4をいつやるか。次はそれを考えよう。ポジティブに。前を向けば、きっとそこには道がある。

 

 

痛みはもうない

 

ところで、今日の練習は特に怪我もなく終われた。昨日の疲労もすごかったし、あまり走る気分にはなれなかったので、軽く体を動かす程度にとどめておいた。少し、左膝の内側に疲れやいつものハリが来ているけど、まぁマッサージとストレッチと軽いアイシングをすれば良くなるだろう。今まで悩んでいた右足首の痛みはいつの間にか消えていた。あんなに悩んでいたのがまるで夢のようだ。悩みってそういうものなのかもしれない。今本気で気にしていることって、きっと後から思い出せば、どうでもいいことなのかもしれない。そもそも思い出すことすらなく、記憶から消えるほどにまでどうでもよくなるかもしれない。そうなることを知っていると、なんだか思いつめるのが馬鹿らしくなる。どうせ考えるなら、悲しいことや辛いことなんかに頭使わずに、楽しいことを考えていたい。前を向いていきたい。

 

 

理論派は勝利するのか

 

周りの人と差をつける方法は5種類ある。

1)合同練習をしっかりやる

2)日常生活を整える

3)動画鑑賞

4)自主練をしっかり行う

5)周辺知識を身につける

 

注目して欲しいのは、合同練習をやることだけが全てではないということだ。そして、自主練よりも大切なことがあるってことだ。日常生活をしっかりしよう。睡眠時間はそれでいいのか?練習前の食事はそれでいいのか?練習後の栄養摂取は十分か?レストやケアは足りているのか?痛みや違和感をそのままにしてはいないか?ここからの季節、熱中症になりやすい。もしかしたら、合同練習の質よりもその辺の方が大切になってくるかもしれない。しっかりとした暑さ対策ができていないと走ることもできない。1セット目でバテたらなんの意味があるというのか。

 

動画鑑賞は言わずもがな。だって、一度の練習から学べることは多くて損はないもの。なんだって知って損はないから。それに、練習時は、カイトの言うように、自分の走りにしっかりと集中するためにも、客観的な視点は完全に動画鑑賞に任せてしまおう。

 

自主練をしっかり行う。誰も自主練の数には言及しない。自主練は回数や時間ではない。やるなら、その一回を、しっかりこなしたものがちだ。自主練ならなおさらテーマは持っているのか、目的は?それを達成するための方法やメニューは適切か?分析はできているか?ビデオは自分で撮っているか?そう言うところが大切になってくる。

 

周辺知識を身につけよう。栄養学や人間の体について、筋肉や骨のつき方、睡眠の取り方や、回復、レストの仕方、怪我の対処方法など、本から学べる知識は多い。単に学ぶだけでなく、それを改めてまとめることで、モチベーションもアップするし、知識が自分のものになるだろう。この季節なら、熱中症に関する知識が足りていないから、それを早急に補充する必要がある。そういうところ。

 

さっき近所の図書館行って、トレーニングについての面白そうな本を借りた。

『究極のトレーニング』 石井直方 講談社 2007

今後はこの本をしっかり読んで、自分なりに吸収してまとめていきたいと考えている。

適当に読むんじゃ勿体無いし、思ったよりも科学的な内容だったからね。もう3000字 超えちゃったので、ここら辺で終わりにしよう